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よそものネット

在外邦人と賛同者の 脱原発ネットワーク

パリ気候マーチ 10月13日(土) 

 市民によって企画された気候マーチに、よそものからは3人が、SNP(Sortir de Nucléaire Paris) と共に参加しました。
 

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC ‐フランス語ではGIEC)が今世紀末に地球の平均気温が1.5度以上上昇した場合、
破滅的結果が現れると警告したレポートを発表した数日後のマーチでした。
 

 あたかもその警告を裏付けるかのように、10月の中旬とはとても思えない、
気温が27度もある汗ばむほどの好天下、つまり気候温暖化を肌で感じる中、若者達、家族連れが多く参加していました。
 

 私たちは、室内効果ガスを抑える為に原子力は選択肢であるはずはなく、全て再生化エネルギーに切り替えるべきあると主張してきました。
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 到着地点のレピュブリック広場に到着した市民達は、「まだ間に合う」「システムを変えよう、気候ではなく」という横幕を持ち、
同広場のマリアンヌ像は子供達の手製のプラカードも含めによって、綺麗に飾り付けられていました。 

 9月8日のマーチに比べると参加者数は減っていると報道されましたが、フランス国内80か所で行われたのですから、
これからの市民運動として期待できるでしょう。

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被曝者、梶本淑子さんの証言会 

 9月21日(金)14時から15時半までピエールフィット・シュール・セーヌ市(セーヌ・サンドニ県)にあるフランス国立中央文書館で、広島の被曝者、梶本淑子さんの証言会がありました。
当時14歳、飛行機の部品を作る工場で働いていた梶本さんは現在87歳、2001年から証言をされています。 
 
300人収容の会場は、クラスごと参加した高校生等でほぼ満席でした。
証言内容は下記のインタビューとほとんど同じですので、リンクを参照ください。 
  原爆投下後3日間に渡り、梶本さんを探し続けたお父さんと感動的な再会をしたが、そのお父さんは1年半後に、吐血をして亡くなった、これは梶本さんを探し続けた3日間の間に被曝したせいだと思う事、梶本さんが今もこうして生きているのは、証言を続ける為に生かされている気がしている、と言われたのが特に印象的でした。
 http://tsuguten.com/interview_kajimoto/ 

  証言の後の質疑応答で、よそものの治子さんが、原発事故の前まで福島に住んでいたと前置きし、「福島と広島は繋がっていると思いますが、それに関して、どう思われますか」と質問した所、「専門的な事は分りませんが、原発には反対です。会津若松の学校でも証言を続けています。原発があれば、原子爆弾がすぐ作れると聞いています。」と返事されていました。 

  講演後、総子さんと私(俊子)で梶本さんにご挨拶をし、原爆と原発の根が一緒だと言ってくださって良かったです、と感想を言った所、日本人の方にも来てくださって嬉しいです、と言われたので、反原発の活動をしていますと紹介し、
よそものの名刺とバッジ一個を渡して来ました。


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8月9日(木)長崎原爆投下セレモニー報告 

 8月9日(木)の長崎原爆73周年のセレモニーは、気温がぐっと下がり、雨も降りそうだったがなんとか持ちこたえた。昨年につづいてギュンター・アンダースのテキスト、そして今年は福田須磨子の「童女へ」を日本語(浩子さん)と仏訳(ドミニック)両方で朗読した。幸いこの日はマイクが使えたので、音楽(歌・ヴァイオリン、トランペット)も効果的だった。最後のスピーチ(ゆうき)では、被爆者が高齢化(平均年齢82歳)し直接の証言者が減っている現状、昨年7月に核兵器禁止条約が国連で採択されたのに、この条約の交渉にさえ参加しなかった日本政府の欺瞞などについて述べた。絶食をつづけた人々はこのセレモニーの後、2区で食事をとり反省会。みなさん、お疲れさまでした。(飛幡祐規)
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8月6日(月)広島原爆投下セレモニー報告 

   当日は快晴、酷暑の中のセレモニーを危惧したが、ストラビンスキー広場は午前中はほぼ日陰、日が高く影の無くなる12時きっかりに終了し、早めに解散になったのは気候的要因もあるだろう。
   総参加人数は50人ほど。多くが主催者団体のメンバーとフランス全国からの断食参加者で、よそものからは6人が参加。
   セレモニーは主催者あいさつの後、井伏鱒二の「黒い雨」の朗読で始まり、かすみさんが原民喜の「原爆小景」より、「水ヲ下サイ」、私が「コレガ人間ナノデス」のそれぞれ仏語訳(Par ドミニック)を朗読。他には、カミュのテキスト、峠三吉、ギュンター・アンダースのテキストを参加者が朗読した。(朗読は全てフランス語)

    セレモニー開始から、これらの朗読終了まではNHKが録画し、かすみさんの「水ヲ下サイ」の部分の画像を放映したいと申し出があった。

    締めくくりは、外国籍被曝者(現韓国・北朝鮮・台湾など)の認知・支援問題などにも言及したこりんさん。

    残念だったのは、テントや音響設備の設営が届け出忘れで許可されなかった点で、話す人の余程近くにいないと折角の素晴らしい朗読や音楽がよく聞こえなかったし、テント無しの正午の直射日光の下で長く東電訴訟や被曝の説明するのは無理があった。

    セレモニー後、そのもの会員、他の参加者合計8人で昼食会を持った。

<個人的感想>
    広島・長崎の被害国である日本人の参加は大きな意味があり、原爆のみならず原発廃絶を訴える絶好の機会の1つとして今後も積極的に行いたい。今年は天候や主催者の準備不足などの理由で、インパクトや収益が期待したほど無かったとしても、反省点は改良し、今後も主催者に積極的提案を続けるべきと考える。
(小森浩子)

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フクシマからジュネーヴへ 国連人権理事会で訴えた母子がパリで語る「原発事故と避難生活」 

   ジュネーヴの国連人権理事会で3月19日、汚染地域から避難した3家族8人の派遣団が、原発事故と避難生活の現状について訴えました。3家族はグルノーブル、ヴァランス(CRIIRAD)、リヨンで講演したのち、パリへ。そのうち、区域外避難者のための「ひなん生活を守る会」を立ち上げた草野さん母子が日本カトリックセンター3月23日、区域外避難者(政府、自治体は自主避難者と呼んでいる)の苦悩と福島の現状を語ってくれました。

「自主避難って言葉はおかしいのです、私たちは自らの意思で喜んで避難したのでなく、子供を守るため、避難区域外で公的支援がないなか、やむなく避難したのです。今、その避難住宅からも追い出されようとしています」

   事故当時、草野さん一家は福島県第2の都市、いわき市に住んでいました。文科省が飛行機を飛ばして測定した汚染マップでは、いわき市の北で汚染が止まっています。草野さんが、このマップに測定飛行機の航路マップを重ね合わせますと、おやまあ、飛行機はいわき市や福島市など人口の多い地域を巧妙に避けていたことがわかります。いわき市が避難区域外とされたのは、そういうトリックのためだったのです。

   草野さんはまた、福島県立医科大に建設された「ふくしま いのちと未来のメディカルセンター」の見取り図を見せてくれました。肺などに転移した甲状腺がんのアイソトープ治療(RI治療)を行う国内最大の入院病棟ができ、その上の階には、PICU(小児集中治療室)が設置されています。草野さんの息子さんたちはお元気ですが、こうした施設で苦しい治療を受ける子供に何もしてやれない親の苦しみを語るとき、草野さんは涙を流さずにはおられませんでした。

  7階建てのこのメディカルセンターはほぼ子供向けで、福島の子供たちの健康被害がいかに深刻であるかを物語るものです。それでもなお、医療関係者や当局は、原発事故との因果関係を否定し続けているのです。


   草野さんの長男は、転校先でのイジメがなによりも辛かった、七夕の短冊に「天国に行きたい」と書いたこともある、と語りました。今は避難者であることを隠して、遠くの学校に通っています。教師や教育委員会の対応のひどさを聞くと、日本の教育はもう壊れてしまっているのか、と恐怖を覚えるほどです。草野さんはまた、家屋被害の差異、補償の違いや嫉妬などで避難者が分断されている、いや、分断させられている状況についても語りました。

   フクシマから避難したママ・シンガー、YUKARIさんもちょうどパリ滞在中で、この場に参加して歌ってくれました。いわき市に住んでいる時、知りあう機会がなかった二人は、同じ避難住宅に住んで知り合い、パリで再会したのです。

 「よそもの」ネットワークで流される情報などから頭で知ってはいても、こうした生の証言を聞くと、心の奥深くに響きます。生の声を聞くことがいかに大事か、を思い知らされた講演でした。このような機会があればまた色々な人の証言を聞きたいものだと思います。

   草野さんは、福島原発被害東京訴訟の原告にも加わっています。全国で30以上、同じような訴訟が起こされていますが、草野さんたちは3月16日、地裁で勝訴しました。賠償額は少ないですが、区域外避難者が被害者として認められた最初の判決でした。これまで泣いてばかりだった草野さんたちに、笑顔が戻る日が来るよう、また、高裁でこの判決が覆されないよう、私たちも声援の声を上げていかなければなりません。

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