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よそものネット

在外邦人と賛同者の 脱原発ネットワーク

5月24日(金)気候の為の世界スクールストライキ 

午後1時、オペラ座の正面階段は若者達で埋まっていました。色とりどりの手作りプラカードには地球への思いが想像力豊かに表現されています。「Nucléaire Stop」と書いた黄色い手を持っていったら、数十枚があっという間に彼らの手に渡り、プラカードと一緒に並びました。

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    前回の3月15日には120か国で180万人の動員があったと報道されましたが、2回目の今日、パリの参加者数は1万5千人と前回の記録を上回り、その内9割は授業に行かずデモに参加した中学生、高校生等の若者でした。こんなに年齢層の低いデモは初めてだと思い、若い声のスローガンを聞きながら、オペラからレピュブリック広場までのデモコ―スをSNPの会員と共に「原発は気候を救いはしない」と書いた横幕を持って歩きました。

選挙権がない私達にはこうして声を届ける事しかできない、という危機感を伴った真剣な問いかけに大人達は早急に答えを出さなくてはならないでしょう。

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チェルノブイリ原発事故33周年 パリでのアクション 


   チェルノブイリ原発事故から33年が経ちました。SNPのアクションによそものからも参加しました。

   4月26日にはパリ東のバニョレ門で、翌27日にはパリの南のオルレアン門で首都高速にかかる陸橋に「原発は止めよう、カタストロフィを待たずに」と書いた垂れ幕を掛けるというアクションでした。

   下を通る車からは手が振られ、連帯が感じられ、こうした小規模のアクションもやりがいがあるとの感想でした。

   参加された方々、お連れ様でした。 1557139162398blob.jpg

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今中哲二さんの講演会 


   京都大学原子炉実験所の熊取六人組の一人として、福島原発事故以前から原発の危険性を訴え続けた今中哲二さんが来仏されました。4月8日から11日までの間、複数のNPOの共催によりフランスとベルギーで講演会が行われました。パリでは、8日にパリ2区役所で講演会、そして11日には12区にあるFPHの会場でドキュメンタリー映画「飯館村」(土井敏邦監督)上映の後、レクチャーと質疑応答という催しがあり、よそものからも数人が参加しました。以下講演会の報告です。

   広島に生まれた時から原発とは縁があるとのユーモアを交えた自己紹介から始まり、大学院の時に日本の原子力開発に疑問を持ったとの事でした。福島原発事故を振り返り、2011年3月15日に福島第一原発2号機の格納容器が壊れたとの報道があった時に、チェルノブイリになってしまったと思ったと語りました。  1557053230593blob.jpg  

   2011年3月29日と30日には飯館村で放射能サーベイ活動をし、南部の長沼地区で毎時30 マイクロシーベルトが測定された時は唖然とした事、村民達は4月22日に飯館村が計画的避難区域に指定されるまでの一か月以上の間、高い線量の中で普通に生活していたという事実、データを取っておかないと、後になって無かったことにされかねないから記録を残す必要があると話しました。

   2年後の2013年、村民にインタビューした際、2011年3月15日に白い服を着た人達が測定しに来たが、数字を聞いても教えてくれなかったと知らされた事、又、防災システムが存在していた事が事故後に分かり、そのマニュエルを読む限り良く出来ており、同システムが活用できていれば飯館村の住民も事故後早期に避難できていたはずだったと話しました。それができなかったのは政府内部が3月末まで大変な混乱状態で、メルトダウンしていたのだと表現しました。 1557053480683blob.jpg

   今中さんはチェルノブイリ原発事故後の影響にも詳しく、子供の甲状腺がんに付いても説明がありました。福島での発病は日本の他の地域に比べて30倍であるにもかかわらず、親が心配するから検査を減らそうという傾向にあるが、検査は拡大すべきであると述べました。汚染地域に住む以上被曝は避けられないが、どこまでがまんできるかは各個人によって違ってくる、各自の決断を国と東電は支える責任があると強調しました。  

   電力に付いても表と共に詳しい解説がありました。事故3年後から国は節電と言わなくなった事に気が付き、調べてた所電力は余っている事が判明した、3年間原発は止まっていたが電力に困らなかったし、これから需要は減る傾向にあり、原発を止めるいい機会であると説明しました。原発事故が起きたら住めなくなる地域が出るので、何が大切かを皆で考えましょうと講演を締めくくりました。  1557053557194blob.jpg 1557053643016blob.jpg

   今中さんと食事を共にする交流会も2度あり、福島原発事故、8年後の現状、そして将来に付いて、多くの事実と示唆に富んだお話を伺う事が出来ました。

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4月3日パリ2区役所で避難家族の講演会を行いました。 

 避難家族とスタッフは18時から会場入りし、演壇は原告団等の垂れ幕と「ダキシメルオモイ」の絵で綺麗に飾られました。

 よそものが用意したお弁当で家族の皆さんは腹ごしらえもし、準備万端整いました。

 19時半開始までに参加者は後を絶たず、区役所が用意した50席の椅子では足りなくなり急遽区役所の職員が廊下にあった長椅子を会場内へ入れる事を提案し、皆で運び入れました。参加者は約70人、約半数が日本人で盛況でした。

 区長代理のアニーさんとレゾーからの挨拶の後、ひなん生活を守る会事務局、福島原発被害東京訴訟原告、原発被害者訴訟原告団全国連東京事務局の鴨下美和さんの話から講演は始まりました。 1556213110179blob.jpg

 原発から40㎞のいわき市から当時8歳と3歳だった息子さん2人と東京へ避難した事、いわき市に避難指示は出なかったが、チェルノブイリ事故の知識があったから避難をする事を決めた事、数回の引っ越しの後東京都が避難者に提供した住居に落ち着いた事、その住居の無償補償も2017年3月末で切られた事等を説明しました。

 現在も避難者住居に住み続けているが、メール、電話等で立ち退き勧告が随時来ている人もいると話しました。

 イナルコでの講演同様、米軍のヘリコプターで行われた放射性物質モニタリングの結果から作成された4月2日から4日の地図を紹介しました。  

 いわき市等人口の多い町はモニタリングから外されています。  

 自主避難するのは神経質で頭のおかしい親と言われることも多く、国に捨てられたと感じてはいるが、一方国や東電相手に全国で30件程の集団訴訟が提起されており、原告数は約1万3千人、東電に対しては全ての訴訟で賠償が命じられ、国に対しても(8件のうち)6件で勝訴していると強調しました。

 高校一年生の鴨下全生さんは法王へ宛てた手紙の中で、東京の小学校へ転校した後、図工の時間に作った工作品に悪口を書かれたり、菌扱いされたりした事、「出来る事なら死んでしまいたい」と思うようになったと過去を振り返りました。

 その後遠くの中学校に進学し、自分が避難者だということを隠した結果、いじめは全く起きず、友達達と過ごす中学校生活は幸せそのものだったが、2,3年経って自分の事を友人に話せない事がつらくて心が砕けそうになったと話し続けました。「こんな歪んだ世界から、どうか、僕たちを助けてください。」とローマ法王へ訴える手紙を書き、3月に法王に謁見した事を写真と共に報告しました。

 法王への手紙を書く経過で本名に戻る事を決心し、法王宛ての手紙には本名で署名したと語った際には参加者から暖かい拍手が起きました。 1556213310871blob.jpg  

 森松明希子さんは東日本大震災避難者の会Thanks & Dream(サンドリ)代表原発賠償関西訴訟原告団代表ですが、福島第一から60kmの郡山市に住んでいた時、原発は安全だと思っていたと語り始めました。

 原発事故の後、水道水を飲み、生まれて数か月だった娘さんに母乳を与えていた事、その水が汚染されている事を知った時3歳と0歳の子供を連れて600km離れた大阪への避難を決めたと話しました。

 父親は仕事の為郡山市にとどまっているが、子供達は一人では逃げる事はできない、放射線被曝から免れ健康を享受する為の避難生活は基本的人権であると強調しました。

 又、8歳の長女明愛さんは、郡山市に留まっていて仕事をしている医者の父親とは一緒に生活できないと話しました。 1556213601923blob.jpg

 尚、国連の人権理事会は2017年11月、日本の人権状況217項目の勧告の中で、福島事故に関しては、自主避難者への住宅などの支援、許容放射線量を年間1ミリシーベルトに戻す事、子どもへの定期的な健康調査の継続、帰還決定プロセスへの住民参画などの実現を政府に求めました。

 森松さんは2018年3月ジュネーブの国連人権理事会本会議にてスピーチし、避難の現状を証言し、日本政府は国連の勧告を受け入れるようにと訴えた事も報告しました。 1556213861888blob.jpg

 質疑応答では、福島の復興に関して質問があり、以前の人間関係が既に存在しない事を考えると、復興とは幻想を与える言葉であり、2020年に開催予定であるオリンピックでは、福島での競技も予定されており、それまでに避難者をゼロにしようと政府が意図しているとの返答がありました。

 福島県のみにおいて年間の年間積算線量限度が20ミリシーベルトである事についても言及しました。

 自主避難という名称はメディアによって付けられたと鴨下さんは強調し森松さんは経済的な理由等で避難できない人たちがいる事は理解しているが、避難家族が証言する事によって、被害者の声が出てくるよう期待したい、現に8歳の娘も今日発言したと返答しました。

 子供の甲状腺がんの現状に付いての質問もありました。 

 普通100万人に1人か2人に発症する病気だが、福島県で事故当時18歳以下の38万人を対象に検査をした結果、既に200人以上が発病し手術等治療も受けている事が報告され、それでも放射線の影響とは考えにくいと政府も福島県も言い続けていると返答しました。

 講演後、参加者からはとてもいい講演会だったとの感想が多く寄せられました。

 避難家族は翌日のフライトで帰国し、子供達は元気に新学期を迎えたそうです。

 長期間に渡るイヴェントの準備、実行、通訳をした会員の皆さん、本当にお疲れさまでした

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4月2日パリ2区役所で記者会見を行いました。 

 ナンテールでの講演会の翌日、避難家族はベルギーで講演し、1日夜にパリに戻ってきました。鴨下祐也さんは既に帰国し、母親2人と子供達4人で記者会見に臨みました。  

 ロストバゲージになっていた荷物をベルギーで受け取る事が出来て、その中に入っていた画家の小林憲明さんが描いた「ダキシメルオモイ」の絵を他の垂れ幕と一緒に飾りました。鴨下さん、森松さん母子達がモデルになっている絵です。 1556212590212blob.png

 日本人も含めた10数人の記者が参加しました。レゾーのシャルロットさんから今回のイヴェントに付いて説明があり、鴨下美和さん、鴨下全生さん、森松明希子さんが発言しました。個人的なインタヴューも受け、4月3日付けのルモンド誌には「鴨下全生、16歳、福島の子供達のスポークスマン」と題する下記の記事が載りました。

明日はいよいよパリ最後、2区役所での講演会です。

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